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#西村駅伝スピンオフ企画 「吉田響選手 (サンベルクス) インタビュー」前編

#西村駅伝 スピンオフ企画

今回はサンベルクスに所属し、プロランナーとして活躍している吉田響選手のインタビューをお届けします。

吉田選手といえば、後半の粘り強いスピードが持ち味で、大学駅伝で数々の成績を残してきました。箱根駅伝では、山登りである5区での活躍から「クライミングモンスター」とも呼ばれていました。

そんな吉田選手ですが、東海大学附属静岡翔洋高校卒業後、東海大学に進学し、3年次からは創価大学へ転籍をした異色の経歴を持つランナー。

今回は、常に自分自身を見つめ直し、他の選手とは少し違った陸上人生を歩まれた吉田選手の大学1年生から4年生までの活躍、転籍を決意したきっかけや、今後の展望などを伺いました。

ぜひ最後までご覧ください。

まずは、1年生。
東海大学に進学した吉田選手ですが、前半シーズンに関しては大会にほとんど出場していませんでした。
駅伝シーズンに入っても、出雲駅伝、全日本大学駅伝には出場していません。

前半シーズン、大会に出場していなかったことについては、特に大きな怪我などをしていたわけではなく、このときすでに箱根駅伝の5区に向けた別メニューの練習を行なっていたため、他の大会の出場は避け、「5区の秘密兵器」としての計画が進んでいたとのことでした。

 

そんな吉田選手が満を持して、出場した第98回箱根駅伝。
5区で見事区間2位になり、堂々の大学駅伝デビューを果たします。
しかし、当時のことを振り返ると「あと10秒頑張れば区間賞を取れていた」と悔しさが残る結果だったそうです。

来年に向けて、さらなる注目が集まっていた中で迎えた2年生。
トラックシーズンで活躍を見せるものの、三大駅伝は出場ならず、そのまま吉田選手は陸上部を退部、そして東海大学を退学しました。

当時、退学したことについて、ご自身のXで健康面、精神面で安定しなくなり、この道を選んだという旨を発信されていた吉田選手。

この心身ともに良好でなくなった大きな要因としては、自分の目指しているもの、理想と現実とのギャップに悩んだことを挙げていました。

自分が目指している理想と、チームの考え方にズレが生じて、心が徐々に疲弊していった吉田選手。

このままでは陸上を続けていくことは不可能だと決断し、東海大学の陸上部を離れました。

このときは今後、陸上を続けるかどうかを考える余裕もなかったそうです。

陸上を退部しただけではなく、東海大学も退学した吉田選手。
そんな吉田選手に声をかけた監督がいました。
同じ静岡県御殿場市出身の縁を持つ、創価大学の瀬上雄然前監督です。

吉田選手は当時、メンタル的に難しい部分があり、一度は瀬上監督のお誘いをお断りしたそうですが、何度もお話をしていくうちに、自分が本当にしたいことは何か、自分はどうなりたいのかを改めて見つめ直していき、「箱根駅伝の5区で活躍したい」という思いが自分の心底にある確固たるものであることを実感して、編入を決意したそうです。

編入を決めたものの、次の不安要素となったのは、新しいチームに馴染めるかどうか。

吉田選手もかなり心配していたようですが、その心配は無用で、驚くくらいチームにすぐ馴染めた様子でした。

想像もしていなかったほど、創価大学の選手が温かく迎えてくださり、自分の新たな居場所を見つけた吉田選手。
特に仲良くなれたのは同い年の吉田凌選手(JR東日本)とのこと。
オフの日に食事に行ったり、コミュニケーションをとることが1番多かったそうです。

東海大学時代は、「自分が結果を出さなければいけない」「自分が引っ張っていかなければいけない」とストイックな性格故に、自分自身を苦しめてしまい、心身がマイナスな方向へ傾いてしまった吉田選手ですが、
創価大学に編入したことにより、オンとオフがしっかりしたチームから新たに学ぶことも多かったとのこと。

頑張り続けるのではなく、休むこと、オフを作ることの大切さを実感し、疲弊していた心身も徐々に回復。
創価大学に転籍してから初出場にもなった3年生での出雲駅伝、全日本大学駅伝では2大会とも5区を走り、区間トップのタイムで好走。
順調な滑り出しを見せ、吉田選手の新たな陸上生活がスタートしました。

選手やチームには様々な価値観があります。
どれが正しくてどれが間違いとかはなく、多様な価値観があって当然かと思います。

チームとの考え方のズレに気づき、一度は陸上の道から離れたものの、箱根駅伝5区への夢を諦めず、ご縁のあった創価大学へ転籍。
そして自分の価値観と合致したチームに出会ったことは、吉田選手がひたむきに努力をし続けた結果かと思います。

山の神に憧れて、5区の夢を追いかけ続けた吉田選手。最終学年の4年生では、5区を走るかと思いきや…抜擢されたのは花の2区。
インタビュー後編では、あのとき2区を走った経緯、当時の心境のことなどもお届けします。

ぜひ後編もお楽しみに。

 

 

吉田響(よしだひびき)
2002年8月20日生まれ、静岡県出身。
東海大学附属静岡翔洋高校卒業後、東海大学へ進学。2年生で退学し、創価大学へ編入。
現在はサンベルクスに所属し、プロランナーとして活躍。

5000m:13分39秒94
10000m:28分12秒01
ハーフマラソン:1時間01分45秒
第101回箱根駅伝 2区日本人歴代最高記録

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