今回は、3月1日の東京マラソンをもって現役を引退した高久龍選手のインタビュー後編をお届けします。
前編では高校から大学までの競技人生について伺いましたが、後編となる今回は、実業団・ヤクルト所属後の歩み、そして引退後の展望に迫ります。
大学卒業後はマラソンに軸足を移し、年間を通して数多くのレースに挑戦してきた高久選手。そのタフなレーススケジュールは、多くのファンの印象にも強く残っているのではないでしょうか。
そんな高久選手にとって大きな分岐点となったのが、2020年の東京マラソンです。サブ10を目標に掲げて臨んだこのレースで、2時間6分45秒を記録し、大迫傑選手に次ぐ日本人2位でフィニッシュ。マラソンランナーとしての高いポテンシャルを証明する結果となりました。
このレースをきっかけに、国内外の大会へ招待選手として出場する機会も増え、日本のマラソン界を代表する存在へと成長。MGCの常連としても名を連ねるようになります。
しかし2023年、心臓の異変が発覚。翌2024年4月には不整脈の手術を経験し、このとき初めて「引退」の二文字が頭をよぎったといいます。
それでも競技への情熱が消えることはありませんでした。手術を乗り越え、再びスタートラインへ。復帰後も変わらずレースに挑み続け、その姿は多くの人々に勇気を与えてきました。
マラソンだけでなく駅伝にも力を注ぎ、ニューイヤー駅伝には通算10回出場。長きにわたりチームの中心選手として走り続けてきました。
気がつけば、実業団の中でもベテランと呼ばれる立場に。チーム内では若手の台頭もあり、世代交代のタイミングを感じたことが、引退を決意する一因になったといいます。
そんな高久選手の競技人生を語る上で、欠かせない存在が、東洋大学時代の一学年上の先輩である設楽悠太選手・啓太選手の存在です。
高久選手に「長年競技を続けてきて、支えになっていたものは?」と尋ねると、「設楽兄弟の存在です」と即答が返ってきました。
大学時代、チームのエースとして活躍していた設楽兄弟の背中を追い続け、駅伝に打ち込み、実業団ではマラソンでその背中を追いかける――。
SNSなどからもその仲の良さは伺えますが、高久選手にとって設楽兄弟は、常に目標であり続ける憧れの存在だったのでしょう。
大学時代から続くその関係性には、思わずほっこりとさせられるものがあります。
今後は競技を離れ、ヤクルトの社業に専念するという高久選手。息の長い活躍を見せてきた選手の引退に、寂しさを感じる方も多いはずです。
それでも、新たなステージへと進むこれからの高久選手の新たな挑戦にも、引き続き注目していきたいと思います。
高久龍(たかくりゅう)
1993年2月18日生まれ、栃木県那須塩原市出身。
那須塩原市立黒磯北中学校から那須拓陽高校へ進学し、東洋大学に進学。大学時代は箱根駅伝で活躍し、3年時の箱根駅伝では8区区間賞を獲得して総合優勝に貢献。卒業後はヤクルトに入社し、マラソンを中心に活躍する実業団ランナー。
5000m:13分49秒59
10000m:28分23秒01
ハーフマラソン:1時間01分30秒
マラソン:2時間06分45秒(2020年東京マラソン、日本人2位)