「駅伝に詳しすぎるアイドル」 西村菜那子 が、駅伝や陸上競技の楽しみ方を独自の切り口で提案していくWEBマガジン

RUNNER’S TALK

プロランナー「萩谷楓選手」インタビュー前半

#西村駅伝 本日は、プロランナー・萩谷楓選手のインタビューをお届けします。

長野県佐久市出身の萩谷選手は、長野県屈指の強豪校である長野東高校を卒業後、大学には進学せず実業団へ進みました。東京オリンピック女子5000mでは日本代表として出場するなど、日本女子長距離界の第一線で活躍。2023年には一度現役引退を決断したものの、その後競技の世界へ復帰し、現在はプロランナーとして挑戦を続けています。

前編では、高校時代から実業団での飛躍、そして東京オリンピック出場までの歩みについてお話を伺いました。

故郷を離れて挑んだ下宿生活、怪我との戦い、そして「坊主頭」のエピソードまで、
世界を目指して走り続ける萩谷選手の原点に迫ります。ぜひご覧ください。

陸上競技という厳しい世界で、自身の限界に挑み続けるアスリートたち。その中でも、萩谷楓選手の歩みには数々の苦難を乗り越えてきた強さと覚悟が詰まっています。

高校時代の苦悩から実業団での飛躍、そしてオリンピックの舞台へ。彼女が歩んできた道のりを振り返ります。

 

ー故郷を離れ、競技に打ち込んだ高校時代ー
もともと走ることが好きだった萩谷選手は、小学校のマラソン大会で1位になった喜びをきっかけに陸上競技へ夢中になりました。

そして高校は、地元を離れて長野東高校へ進学します。
地元は長野県とはいえ、萩谷選手の地元の佐久市から、長野東高校がある長野市へは電車で1時間半。新幹線では20分ほど。高校生が通うには少し距離があります。

そのため長野東高校時代では、監督である玉城良二先生の自宅で下宿生活を送りながら競技に打ち込む日々。親元を離れる寂しさや不安もありましたが、それ以上に「もっと強くなりたい」「走りたい」という思いが勝っていました。

生活のすべてを競技に向ける環境の中で、彼女はランナーとしてだけでなく、一人の人間としても成長していきました。

 

ー成長痛との戦い、そして都大路への執念ー
一方で、高校時代は怪我との戦いでもありました。
急激な身長の伸びによる成長痛に苦しみ、夏場は走れても冬になると痛みが増し、足を引きずりながら補強運動を続けることもあったといいます。

そんな萩谷選手がどうしても走りたかったのが、全国高校駅伝(都大路)でした。
駅伝を走るために、長野東高校に進んだほど、駅伝に魅力を抱いていた萩谷選手。

しかし故障が続き、3年間で出場できたのはわずか3年生の1度。そのレースも疲労骨折に近い状態で迎えていました。
本番の約3週間前にはすでに限界を感じていたものの、「どうしても走りたい」という思いから周囲には痛みを隠し続けていたそうです。

 

ー坊主頭に込めた覚悟ー
そして、長野東高校時代を語るうえで欠かせない有名なエピソードがあります。
レース直前、ついに怪我を隠しきれなくなり監督へ報告した萩谷選手は、その足で1000円カットの店へ向かい、自らバリカンで髪を剃り落とす決意をし、坊主頭になりました。

「こんな状態で走るわけにはいかない」
「気持ちを入れ直したい」

そんな自責の念と覚悟から生まれた行動でした。

あまりにも突然の出来事に、玉城先生も怪我の話より先に「お前……頭どうした?!」と驚いたそうです。

怪我を隠していたことに対してもっと叱られると思っていた萩谷選手でしたが、監督もその真っ直ぐすぎる性格に思わず笑ってしまったといいます。

女子高校生が坊主頭になるという前代未聞の決断。その姿は、競技に懸ける並々ならぬ覚悟の象徴でした。

 

ー長野東で培った「自律」の力ー

長野東高校の強さについて、萩谷選手は「地域の皆さんに育てていただいた」と語ります。

手作りのクロスカントリーコースを地域の方々が整備し続けてくれるなど、多くの支えがある環境の中で、「指示を待つのではなく、自分で考えて行動する」という姿勢が育まれました。

駅伝はチーム競技でありながら、走る瞬間は自分一人です。誰にも頼れない状況で自らを律する力は、この高校時代に培われた大きな財産となりました。

 

ー世界を目指して実業団へー

高校卒業後、萩谷選手は大学ではなく実業団への進路を選択します。

理由は明確でした。

「世界で戦いたい」
当時、長野東高校の選手で、大学に進まず実業団に進んだ選手はいなく、萩谷選手が第一号とのこと。
その思いを実現するため、より高いレベルの環境へ身を置くことを決断したのです。

入社2年目には自己ベストを更新するなど着実に力を伸ばしましたが、その過程ではコロナ禍による練習やレースの制限など、多くの困難も経験しました。

 

ー東京オリンピックで知った世界との差ー
着実に力をつけていった萩谷選手は東京オリンピック5000m代表に選出されました。

初めて着るチームジャパンのユニフォームを着たときは感慨深いものがあったそうです。

しかし、そこで待っていたのは世界の壁でした。

自己ベストに近い走りを見せても予選突破には届かない。特にラストスパートの切り替えやスピードの差を痛感したといいます。

それでも萩谷選手は結果だけに目を向けるのではなく、自身の課題を冷静に分析していました。

高校時代に怪我と向き合いながら培った粘り強さ、自律する力、そして諦めない心。そのすべてを武器に、彼女は今も世界の頂点を目指して走り続けています。

 

前編はここまで。

後編では、現役引退を決意した当時の心境や、競技から離れていた期間の生活、そして現役復帰に至るまでの経緯について伺いました。

さらに、プロランナーとして挑戦を続ける現在の思いや今後の目標についてもお聞きしています。

ぜひ後編もご覧ください。

 

 

萩谷楓(はぎたに かえで)
2000年10月10日生まれ、長野県佐久市出身。
長野東高校卒業後、株式会社エディオンに入社。高校時代から全国トップレベルの実力を誇り、2021年には女子5000mで日本代表に選出され、東京オリンピックに出場した。2023年に現役を引退するも、2025年に競技へ復帰。現在はプロランナーとして活動している。

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